た[18、19]。収集したデータの解析から、危機的出血や心筋虚血、肺血栓塞栓症、困難気道、アナフィ 1950年代にはBeecher[8]とToddは麻酔の安全に関する大規模で組織的なランドマーク的研究を発表した[9]。米国の10大学病院において、599,548例の麻酔症例を収集し、麻酔科医、外科医らのチームが外科や各種外科の全死亡症例の死因を、患者の原疾患、誤診、外科判断の誤り、麻酔に分類した。直接的な麻酔死亡と麻酔が重要な寄与因子である死亡を合わせた確率は1:1,560であった。麻酔死と判断されたものは1:2,680であることや、クラーレを使用した症例の死亡率は1:370であることなどを報告した。麻酔による死亡者数は当時流行していたポリオの死亡率に匹敵するほどに高く、社会的な問題となった。 1950年以降、大規模な麻酔に関する研究が行われるようになった。1950年代になり広く使用されるようになったハロタンにより、致死的なハロタン肝炎が起こることが問題となり、National Halothane Studyが実施された[10]。VandamとDrippsが10,098名の脊麻を受けた患者において6か月間のフォローアップを行う前向き研究を実施し、その安全性について報告した[11]。こうした多診療科共同の全国的な医療の安全への歩みはその後も広がっていった。 麻酔の安全性に対する組織的な動きは1980年代に入り世界的なものとなり、各国で麻酔の安全性を向上させるための指針などが作成されるようになった[12]。1985年にはAnesthesia Patient Safety Foundation (APSF) が設立された[13]。麻酔に関するインシデントやアクシデントを収集し、麻酔の安全性を向上させるような安全のためのプログラムを作成し、国際的な情報交換が促進されるようになった。麻酔の安全性向上に関する教育資源やニューズレターの発行、麻酔教育へのシミュレーターの導入なども行われた。 1986年には、ハーバード大学から麻酔中の標準的モニタリングが提案され[14]、米国麻酔科学会 (ASA)[15]だけでなく、日本を含め各国で麻酔中の標準モニタリング指針が作成された[16]。 1985年にASA Closed Claims Projectが開始され、英国では1984年にNational Confidential Enquiry into Perioperative Deaths[17]が、日本では1992年に麻酔関連偶発症例調査の予備調査が開始されラキシーなどの問題点が抽出され、それに対応するためのガイドラインが立てられ、麻酔の安全性向上に寄与してきた。 1996年には米国医師会は APSFをモデルとして、National Patient Safety Foundationを設立した。1999年には米国医学研究所は 「To err is human (人は誰でも間違える)」を発表し、ヒューマンエラーの重要性を指摘した[20]。 WHOの“Safe surgery save lives"の基本は手術に関与する医療者がすべて患者や手術、基本モニタリング、術前の抗菌薬投与、術中や術後に予測される問題点について共有し、責任を持つことにある[21]。コミュニケーションの一方法としてチェックリストを使用することも広く行われ、外科患者の合併症や死亡率が低下した[22]。1950年代以降の全国的な麻酔死や合併症に関する大規模調査1980年代に起きた麻酔の安全性向上への世界的うねり医療全体の安全性の向上に向けて安全文化の横の広がり:To Err is Human32
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